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コーチになるまでと嫁置き去り事件

現役時代はコーチというキャリアは考えていなかったでしょう?って。現役引退後は陸上界に残るつもりはありませんでした。当時はメジャーリーグのエージェントになりたいと考えていたんです。アメリカで公認会計士、そして修士号をとろうとしてたのもそのためです。まだ現役中の2015年の夏、スポーツマネージメントを学ぶためにアメリカの大学院に行く準備をしていたころ、「NIKEでチームを作ろうとしているだけど、コーチをやってくれないか」という話が浮上しました。

たまたま齋藤雅英(早実→早稲田)という高校生を教えてて彼がインターハイに出たときに、NIKEのブースに挨拶に行きました。NIKEもぼくがどういう人間か、つまり「陸上界に残るつもりはない」ことを知ってただけに、インパクトがあったのでしょう。もしかして、横田は指導にも興味があるんじゃないかと「コーチになる気はある?」と打診されたのです。気乗りはしなかったけど、とりあえず「ある」とだけ伝えていたら、すぐにNIKEに呼ばれました。ちょうど北京世界陸上前。御嶽にアルベルト・サラザール(当時オレゴンプロジェクトヘッドコーチ)がいて、彼と会うことになりました。オレゴンプロジェクトの日本版を作ろうという構想がもちあがったのです。

アメリカのトップチームで実践を大学院でコーチングやマネージメントのような理論を学ぶことができると考えて引き受けることにしました。アメリカは2000年のシドニーオリンピックでは1つもとれなかった中距離メダルを2016年のリオオリンピックでは7つまで増やした。その背景を実践と理論を同時吸収しようというプランを思い描き、2016年の10月に引退。妻もオレゴンの大学院で学ぶことにして、家族でポートランドに拠点を移し、オレゴンでの生活がスタートしました。ところが拠点を移した直後。オレゴンでサラザールのもとで実践を学ぶという話が立ち消えとなってしまうのです。ぼくはいきなりオレゴンで無職になってしまいました。妻は大学院があるので、2年オレゴンにいつづける理由がありますが、すでに実業団も辞めていたぼくは無職の大学院生です。すでに勧誘していた卜部蘭と高橋ひなが2017年4月から入ることがきまっていたため、妻をポートランドにおいたまま、帰国することになりました。これは横田家では”嫁置き去り事件”として、いまだに妻にちくちく言われます。だから、2022年の世界陸上ユージーン(アメリカオレゴン州)は横田家にとっても、リベンジ。というかアナザースカイにしたいと密かに考えています。

そうそう、楠と出会ったのもそのころ。2017年3月までは無職で暇でしたから、当時、小森コーポレーションにいた楠康成がメキシコで合宿をするという話を聞いたので、そこに合流して楠の通訳をしながら、ぼくもコーチングを教わっていました。それが楠とのつきあいのはじまりです。オレゴンでそのまま学ぶことができていたら、楠はTwoLapsにはいないんです。人生って面白いものです。余談ですけど、2015年のインターハイ。ぼくが教えてた雅英は二位。勝ったのは田母神なんですよ。それもすごい縁ですよね。

(文章:EKIDEN News 西本武司)

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